1. 月を追う男

 いつのことだか知らないが、月を追って旅する男がいた。
 人々は月から来た者、「セレナイト」ではないかと噂したが、聞いて男は首を振る。
 いかなる理由があろうとも、あの美しい天体を離れるものがあるものかと。
 男はたいそう月を愛していた。世界中、昇る月・欠ける満ちる月を、様々な景色を季節を
 通りすぎてゆく月を求め、写真の中にとどめようと、もうずいぶんと長いことひとりきり旅を続けていた。
 家も身寄りもまるでなく、犬一匹の供さえも、別れを惜しむ者もなく、ただ毎日を月を求めて、
 いつから旅しているのやら、どこで生まれたものなのか、今ではまったくわからない。
 首から下げたカメラがひとつ、集めた月のアルバムに、財布がひとつと僅かな着替え、それが男の全財産。
 『ふいに、足をすべらせて、地上へ落ちた月の民、帰るすべさえわからずに、遠い故郷をなつかしむ』
 旅の途中で耳にした、流行り歌の一節に目を細め、男は月を追いかけて、長い長い旅を続けた。


2. 語り部たち

 さて、次に男は、ふしぎな語り部がいるという、高い山を訪れた。
 山の上にはいちめんの黒、はるかに続く岩場の黒が、夕日と風に揺れている。
 この世ならぬ光景に男が目を奪われていると、いつのまにか見知らぬふたりが隣に立っていた。
 「雨をふらせるものよ、ようこそ」
 ひとりが前に進み出た。
 「お客人、わたしたちは石の語り部。石に秘められた物語を語るもの」
 見れば、色とりどりの小石が抱えた籠いっぱいに、夕日を浴びて光っている。
 男が首をかしげると、だまったきりの語り部が、ふいににっこりほほえんだ。
 「物語を語るときだけ口をきく。石の声を宿すとき」
 当惑しながらも、男はていねいに話をしてくれるよう頼みこんだ。
 「月ならば、セレナイトという石の中だ。願いなさい、月を。願いが強ければセレナイトは降る」
 男は言われた通りに、天を仰ぎ一心に月を、まだ見ぬセレナイトを願った。
 すると、いまだ暮れきらぬ天球から星々が次々に降ってきたではないか。
 「拾いなさい、地面につかないうちに。拾った数だけの物語を、わたしたち語り部は話そう」
 語り部たちのその言葉に、星と見えた輝く雨がセレナイトだと気付くまで、男はただただ呆然と、
 空の光を眺めていた。
 あわてて岩場を駆け回り、あちこちに降る透き通った結晶を、なんとか両手で受けとめる。
 セレナイト、月光鉱石は大地に触れると、たちまちに溶けて消えてしまう。
 絶えることなく降りそそぐセレナイト、岩場は星を抱いたようにきらきらと輝く。
 やっとの思いでつかまえた月のかけらを差し出すと、語り部たちは石の数だけ、月にまつわる話をした。
 語り終えるたび籠へ入れられるセレナイトを横目で眺めながら、男はじっと、たくさんの物語を聞いていた。
 ふと男が空を見上げると、星の雨はやんでいた。
 手の中の結晶はあとひとつきり。最後のセレナイトを受けとると、語り部はふたり手をとった。
 「雨を降らせるものよ、最後の物語、よくお聞きなさい」
 それは長い物語だった。ふたりの語り部は縦糸と横糸、美しい織物をしたてるように言葉は連ねられた。
 男はそれぞれに、思いつくかぎりの感謝の言葉を述べた。
 「これは雨を降らせたものの取り分」
 差し出されたセレナイトを、男は大事にポケットにしまいこんだ。
 「ここから一日歩いたところ、月の祭りが開かれる」
 籠の中の石を指ですくいながら、語り部は言った。
 「行ってみるといい。月を語るもの、歌うものが宴に集う」
 語り部たちは、そうして、再びどこかへ消えてしまった。
 男は、月の祭りが開かれているという街を目指して、高い山を降りた。


3. 月は歌う

 あの天体には 人はけっして住めないだろうと考えることが、
 ときどき ぼくのみぞおちへ一撃を食わす。
 ああ! お前にすべてをささげる、月よ、
 八月の宵 沈黙の魔法によってお前が昇るとき!
 そして雲たちの黒い暗礁を通りぬけ
 マストを失って、沖を、さまよう時に
 おお!はるばると、登っていって、
 お前の至福をもたらす洗礼の水盤から
 じかに自分をうるおしたい!
 とほうもない豪雨に洗われた天体よ、
 お前のけがれない熱さましの光線のうちの一条が、
 今夜、ぼくのシーツをひたすために、
 曲折してさしてくれるといい、
 ぼくが人生から足を洗えるように!

 (ジュール・ラフォルグ 『聖母なる月のまねび』より「月光」)


4. 月祭りの夜

 祭りが終わると、男は旅支度を始めた。さあ、歩きだそう。
 月を追い、月とともに山を越え、海を渡って、景色を季節を通り過ぎよう。
 夜があけたら、この土地を発つ。
 南の海を無数の蝶々と渡る満月を求めて。
 南の島、鮮やかな樹々と花々の島。昼も夜もいっそう濃い、あたたかな南へ。
 そこでは月は明るいだろう、そこでも月は美しいだろう。
 南へ。

 男は今も、月を追って旅しているという。


画面を閉じる

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送