曲目解説

抒情小曲集より
 『抒情小曲集』に収められている8曲は、初々しい思春期の純な憧れをうたったものから、孤独、不安、愛、
哀れ、歓喜、子守歌までにわたる多様な顔を持っており、また作曲者鈴木憲夫氏が十代の頃に書かれたもの(例
えば『歌』)から最近のものまでを含む構成となっています。作曲者はそのひとつひとつに、その折に寄せた思
いが彷佛と蘇ってくる、と言っています。
 詩は、立原道造、八木重吉、中村泰三らですが、道造(24歳没)や重吉(29歳没)はいわゆる夭折の詩人
で、彼らの、「朝に」(「優しき歌」立原道造より)や「秋」(「秋の瞳」八木重吉より)には、友が無くては
耐えられないのにいない、大切なものが自分を通り過ぎて行ってしまう、といった孤独や不安、あるいは慰めや
愛を求める思いがゆらめいています。「白鷺乱舞」には逆に真っ直ぐに未来を見つめ信じる健やかさ、明るさが
溢れていますが、しかし何といっても若者の誇りは何とない不安や自信の無さと背中合わせなものであって、だ
からこそもろく傷つきやすく、神を求めたり、女性に理想を見て癒されたいと願うのでしょう。
 そんな青春群像にかぎりない共感を寄せる作曲者の、そう、これは僕なんだよ、という呟きが聞こえてくるよ
うなメロディーです。同時に、この4曲を選んだ指揮者の呟きとも、聞こえるのではないでしょうか。

初冬
 詩人、立原道造(大正3年〜昭和14年)は幼少の頃から病弱で、24歳で世を去りました。建築家であった
彼は、人間というよりははるかに妖精に近いような雰囲気を漂わせ、なかば少年のような面影を残していました。
『初冬』は死の3年前、詩人としての出発の頃の作品です。すでに死を予感していたのでしょうか。研ぎ澄まさ
れ、昇華された詩人の魂は少年の心を追い求め、透明感のある甘美な世界を詩っています。
 作曲家、村井嗣児氏は東京芸術大学作曲科・専攻科を卒業後、国立音楽大学で講師をされていました。この『
初冬』は日本合唱指揮者協会の募集した、創作合唱曲の入選作品です。
 遠くで葬送の鐘がひびきあうような言葉のかけあいや、明るく澄んだハーモニーが、立原の描く少年の死を、
非日常的なイメージに仕上げ、音とことばで画面を構築してゆくような印象を受けます。
 村井先生は、去る3月14日に急逝されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。それとともに、天上の
先生に叱られないように、精一杯歌いたいと思います。

ふるさとの四季
 思い出のなかにある景色は時を止めたまま、一枚の写真のように静かに佇んでいます。生まれ故郷の家の前の
道に、降り注ぐ陽光。樹々にざわめく風も、ふわり舞い降りる雪のひとひらも、瞳を閉じればなにもかもが静か
に、「風景画」さながらに時間を封じ込めたまま蘇るでしょう。季節のうちで一番美しく感じられた一瞬、自分
の生きてきた時間、過ごしてきた年月という波の一点が、思い出と呼ばれる景色です。けれど、めぐる季節は絵
のように立ち止まったままではいてくれません。ひとつひとつの点を含んだ、大きな波の中、ゆっくりとすべて
のものは移りかわってゆくのです。
 この『ふるさとの四季』は、メドレーという形式で、四季折々の自然の姿をうたっています。ひとつの景色、
春を軽やかに歌ったかと思えば、曲は既に次の季節の気配を宿して先へと進み、ちょうど春の風に若葉香る初夏
のにおいが感じられるように、うつりゆく季節がそのまま歌になりました。閉じ込められた思い出の中の四季、
ではなくて、たえず流れてゆく生きている時間そのものが、この曲のなかには宿っています。思い出のなかの季
節、生きている、動いている季節、より輝くのは、今、この指の間から流れ落ちてゆく、いとおしい「現在」、
生きているすがたではないでしょうか。

Missa in C K.317(戴冠ミサ)
 『Missa in C K.317』(Krunungsmesse 戴冠ミサ)は、1779年3月の作品です。この曲は、ヨーロッパ
各国でとり行なわれた、レーオポルト2世の戴冠式の記念ミサに用いられたことから、「戴冠ミサ」と呼ばれる
ようになりました。
 この作品の「アニュス・デイ」のソプラノ独唱がオペラ「フィガロの結婚」の伯爵婦人のアリアに似ているこ
とや、器楽的なパッセージが曲中に散見できることから、世間の評判は「世俗的」「器楽的」で、“非宗教的”
という評価が一般にされてりました。しかし、当時はこうした様式が世俗と教会との別なく広く行なわれており、
この曲の評価をおとしめるものではないでしょう。
 こうしたモーツァルトの魅力にとりつかれ、前回のぶどうの会に引き続き、わがユースホステル合唱団では、
再びモーツァルトのミサ曲に挑戦いたします。

月夜三唱
 『月夜三唱』は、1965年、津田塾大学合唱団の委嘱により、三善晃の「三つの抒情」に次ぐ2作目の女声
合唱組曲として作曲され、同年10月初演された。氏はこの組曲について詩(特に、月の光その一、その二)の
フィクシャスな劇を通じて、メルヘンを描こうとしたと述べている。
 「月の光その一、その二」は中原中也が昭和12年2月、前年11月に2歳になったばかりで急死した長男の
ための追悼詩として発表した作品である。詩中のチルシスとアマンドというのは、中也の愛した詩人ヴェルレー
ヌの詩「マンドリン」に出てくる牧童のことで、おそらく亡き児への思いが託されているのであろう。「月夜の
浜辺」もその少し後、発表されている。
 医家に生まれながら文学に傾倒し、10代半ばで故郷を去らねばならなかった中也は、不安定な生活のなかで
恋人を失い、やがて結婚して得た平安も束の間、愛児の死に遭う。放心したように、妖精のような牧童達の楽し
げに遊ぶ様子を思い描く姿にも、大切なものを次々と失くしていった詩人の、哀しみと孤独の深さが思われて痛
ましい。この都市の10月、中也も力つきたようにその生を閉じた。
 『月夜三唱』は、その哀しみの彼方に描かれた、幻想的な大変美しい合唱曲である。

モテット
 アントン・ブルックナーは、1824年、祖父の代からオーストリアの小さな町の教師だった家系に生まれま
した。彼の父親は礼拝のオルガン弾き、また母親は合唱隊で歌っていました。幼い頃からそのような宗教的環境
の中で育った敬虔なカソリックである彼は、1835年、11歳の頃から小規模な修好合唱曲を作曲し始めまし
た。
 ブルックナーも始めは教師の職に就きましたが、1845年に聖フローリアンで、またリンツ大聖堂でオルガ
ン奏者を務めています。この頃から専門的に作曲技法を学びだし、40歳を迎える頃、音楽家・作曲者として本
格的作曲活動を始めます。そして1867年には、ウィーン音楽院で教鞭をとるかたわら、ウィーン宮廷礼拝堂
のオルガン奏者を兼ねるようにまでなりました。
 今回演奏するモテットは、聖フローリアン、リンツ大聖堂、ウィーン宮廷礼拝堂などを経て、それらのあらゆ
る機会に作曲、演奏をしていたと思われるものです。

ミュージカルナンバー
 大人も子供も大好きな音楽、の一つに、ミュージカルナンバーがあると思います。楽しい気分になって、つい
口ずさみたくなる、そんな魅力あふれるメロディーたち。今回はそんなミュージカルナンバーの中から、5曲を
お送りします。まず初めは“メリーポピンズ”より2曲。ディズニーランドなどでもお馴染みの曲です。3曲目、
“My Favorite Things”は、“サウンド・オブ・ミュージック”からの曲ですが、コマーシャル等でもよく使わ
れているのでご存知の方も多いのではないでしょうか。続いて“Cats”からは“Memory”を。そしてラストは、
“Girl Crazy”より“I Got Rhythm”。 
 今回取り上げたほかにも、楽しい曲、心に染み込む曲はたくさんあります。物語と結びついたミュージカルナ
ンバーは、音楽のなかにもう一つの物語を思いおこさせてくれるような気がします。子供の頃のような純粋な気
持ちで歌ってみると、また、感じが違ってくるのではないでしょうか。
 日頃童心に還るのが得意なヴェルデの面々ですが、果たして、どんな曲に仕上がるでしょうか。ごゆっくりお
楽しみください。

白い木馬
 一枚の白いノートを前に詩を書こうと思うとき、できることはただひとつのひらめきを待つことだけなのです。
作者は28歳の短い人生を病で閉じるその直前に、この詩を待っていたかのように突然沸きあがる言葉の数々を
感じ、その言葉を詩に残してこの世を去りました。それは白いスワンの木馬に乗って広大な空へ、不安と憧れと
を抱きながら飛び立った、作者の命そのものなのかもしれません。
 この組曲に載っている5つの詩には、いずれも作者の青春を育んだヨーロッパの香りが息づいており、華やか
な都会の中に廃虚を見、自然のなかのほんの小さな命の輝きに心を弾ませる、一粒の淡雪のように繊細な作者の
心がわかります。
 作者のこころの奥で育まれていた詩が合唱曲となり、舞台の上で発表されるということは運命のいたずらなの
でしょうか、それとも、今日この日のために全ての出来事が起こっているのでしょうか。
 皆様の心の琴線に触れるような、良い演奏にしたいと思っています。



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